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大江匡房は平安朝切っての漢学者であった。前九年の役から凱旋した八幡太郎義家が得意になって戦争の報告をした時、「器量は 彼は晩年に、世間の雑事や有職故実の談話を、藤原実兼という若者に筆記させた。実兼は平治物語で有名な信西入道通憲の父で、秀才ではあったが夭折した。この実兼の筆記が「江談抄」として伝えられたものである。 その江談抄に「聖徳太子御剣銘四字事」と題し、 丙 毛 槐 林 吉切槐林 是切守屋ノ大臣ノ頸也 と記されている。 大江匡房はこのわけの判らぬ四字の判じ物を「吉く槐林を切る」と読み、槐林とは大臣のことで物部守屋を意味し、聖徳太子が物部守屋の首を斬った剣なのだよ、と解説したのであろう。この剣は四天王寺の宝物として、永く伝わった(はずである)。 江戸時代になって新井白石は大江匡房が丙毛槐林と読んだその御剣を拝見したら、何とその字は「丙子椒林」と読めたということを彼の著「本朝軍器考」に記している。現在国宝となっている剣は明らかに丙子椒林である。 つまり大江匡房の見た御剣と新井白石の見た御剣は互いに別物であり、現在国宝になっている御剣は新井白石が拝見したものと同一と見て良いと思われる。新井白石が大江匡房の誤読を正したと記す人もあるが、現物を見ればそのようなことはあり得ないことが判る。 佐藤 幸彦 |
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太刀 銘 元重 長さ2尺2寸5分、反り5分、本造り、庵棟。 身幅尋常で、鎬高く鎬幅広く、平肉が豊かにつき、反りが高い太刀姿。 以上2例「刀剣と歴史」 太刀 銘 貞真(古一文字) 鎬造、庵棟、身幅尋常、元先の幅差殆ど目立たず、 とここに刀剣と歴史から2例、刀剣美術から1例の記事を引用する。これらにはすべて「身幅尋常」という言葉が使われている。すべて身幅がこの時代の作者として頃合い、という意味であろうか。 桃山時代の発音を良く記録していて外人宣教師が利用していた邦訳日葡辞書でも 元亀元年刀剣目利書では 一、助延 後鳥羽院御宇 姿尋常なり という具合にしばしば用いられている。 |